こんばんは!小野木梨衣(おのぎりえ)です。
📺元石川テレビ→🎤フリーアナウンサー
著名人司会多数経験
ライブ感、会場とステージの一体感を大切にセレモニーに華と品格を添える司会がモットー🎤✨
愛知県半田市住まいで6歳の息子を育てる母です。
ブログでは、司会や話し方のコラム、子育ての気づきやお出かけ・遊び情報を配信中
前回のブログでは「アナウンサーになりたいと言えなかった幼少期」についてと、そんな私を変えてくれた出会いについて記述しました。
実際に彼女と出会って「アナウンサーになりたい」と人前ではっきり言えるようになったことで、同じようにアナウンサー業やマスコミ業界に興味を持つ仲間が出来、受験に関する情報が集まり、協力者が現れ、アナウンサーの仕事に挑戦できる機会にも恵まれていきました。
夢が近づいている!と感じることができたのです。
人目を気にしたまま、夢を言えずに、一人指を加えて待っていたら絶対にアナウンサーにはなれていなかったでしょう。
人に言って自ら退路を経ったことで、
私にはなれないという感情に支配されている場合ではなくなり、
どうしたらアナウンサーになれるだろう?
この活動はアナウンサーになるために近づけるかもしれない。
あの人はどうしてアナウンサーに内定できたのだろう?と考え行動に移しまくりました。
大学3年生だった当時、私の地元には有名なアナウンサースクールがなかったことや、有力な情報や志の高い仲間は東京に集まるのではないかと思い、東京のアナウンサースクールに通うことに決めました。
行き帰りの移動手段は片道4000円の夜行バス。
女子大学生が田舎の知多半田駅から23時に出発する東京行きの夜行バスに乗って、朝5時台に肌寒い新宿駅バスターミナルで降ろされる。3ヶ月間、火曜日の1時間半のレッスンのために毎週通い続けました。
早朝は新宿南口側で5時から営業していたクリスピークリームドーナツで顔を拭いて服を着替え、ドーナツとホットコーヒーを飲んで時間を過ごして、夕方のレッスンまで一人東京の街を観光したり、早めに教室へ行って発声練習をしていました。
最初は一人で行動できている自分に満足し、尊敬する仲間にも出会え、アナウンサーになれることに近づいている!という自負があったのですがだんだんその気持ちも弱くなっていきました。
なぜなら、当時通っていたスクールは、発声練習やニュース読み、リポーターのスキルを磨くことに時間が割かれていたからです。
それはそれで勉強になり自分がやりたいことなので楽しいわけですが、アナウンサーになるためのマスコミ受験に必要な練習である、エントリーシートの書き方や面接対策はほとんど教えてもらえなかったのです…。
自分はアナウンサーになってから勉強すればいいことに時間を割いている。
これで本当にアナウンサーになることに近づいているんだろうか…と不安になってしまいました。
今思えば、積極性が欠けていました。
自分の中でエントリーシートや面接対策に対して不安があるという課題がはっきりしていたのなら、自ら先生を捕まえて、エントリーシートの添削をお願いしたり、朝から東京にいるのだから、レッスン以外でも約束を取り付けて面接練習してもらうこともできたはずです。
でも、私にはそれができなかった。
いつまでもスクールのいいお客さん気分で、自分のためにここまで来ているのに、大手のスクールに入ったから大丈夫。この授業を受けているんだから大丈夫。と保守的になっていました。
なぜなら、学校にとって面倒のかかる生徒でいたくなかったし、指摘されるのが怖かったから。
ここでも優等生に思われたいという見栄っ張りさと、自己肯定感の低さ、指摘されると傷ついてしまうという恐怖が私を消極的にしました。
おいおい、何カッコつけてんのよ〜〜〜!!
指摘されて良くなることこそ価値があるのに。
と、今なら過去の私を蹴り飛ばしてやりたいw
一体何をそんなに守っていたんでしょう。
アナウンサー受験に受かるためにアルバイトで貯めた20万円を投じてまでここに来たのに…
自分を守るあまりに、目的を完全に見失っていました。
結局、私は最後まで積極的にエントリーシートを見せに行けないまま、3ヶ月のカリキュラムが終了してしまいました。
東京までわざわざ通ったのに、自分の中に確かなものを持ち帰れないまま帰ってきてしまった私は、やはりエントリーシート通過の壁が高かった。
出しても出しても通らない。
落ち込むことが続きます。
そんな私を救ってくれたのは母でした。
母は私が諦めそうになるとこういうのです。
「梨衣ならできるよ」
「〇〇放送のアナウンサー募集、出ていたわよ!」
「エントリーシートの〆切、そろそろじゃない?」と。
私のことなのに、誰よりも採用情報をチェックして、チャンスがあれば応援し続けてくれました。
提出期限ギリギリのエントリーシートを持った私を、夜中に車を出して夜間郵便受付をしている遠くの郵便局まで送ってくれました。
私の夢を一緒になって追いかけ、私の夢は叶うと信じ続けてくれたのです。
この文章を書くと、今でも当時の母のサポートへの感謝が溢れてきて目に涙が浮かびます。
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夢を語ると大抵「そんなことは無理だよ、叶わない、君にはできっこないよ」という反応が返ってくるでしょう。
もしもそんな人にばかり囲まれているとしたら、あなたの意思は揺らぎ、夢は遠ざかっていくかもしれません。
夢をもっと公言して、
自分をさらけ出して、
あなたの夢に一緒になって熱狂してくれる仲間を見つけられたら、
夢が近づいてきてくれるかもしれません。
あの頃私には、自分の夢を信じて一緒になって追いかけてくれる人が、自分の一番そばにいてくれた、という事が夢を叶えられた秘訣なのだと確信しています。
ここまで2記事にわたり「アナウンサーになりたい!」と言えなかった私が夢を公言し、夢を叶えられた秘訣について配信してきました。
最後の三つ目は、また別のブログに記述したいと思います。
これが最も私が夢を叶えられた理由だと思っています。
ぜひ、期待して待っていてくださいね♪