こんばんは!小野木梨衣(おのぎりえ)です。
📺元石川テレビ→🎤フリーアナウンサー
著名人司会多数経験
ライブ感、会場とステージの一体感を大切にセレモニーに華と品格を添える司会がモットー🎤✨
愛知県半田市住まいで6歳の息子を育てる母です。
ブログでは、司会や話し方のコラム、子育ての気づきやお出かけ・遊び情報を配信中
石川テレビアナウンサーとしてアナウンサーになる夢を叶えた私・小野木梨衣。
アナウンサー受験の苦労や葛藤、気づきを振り返るブログです。
前回の続きになります。
大学4年の4月、一般企業の就職活動が始まります。
内定ゼロのままでは不安!ということで一般企業も何社か受験しました。
ありがたいことに、一般企業から内定を頂きました。
しかしながら本命ではありませんでしたので、内定をいただいた電話で正直にこう伝えたのです。
「私は将来アナウンサーになりたいと思っています。今もその夢をあきらめられていません。
また今後アナウンサー採用試験があったら受験したいとも思っています。そんな気持ちで内定をお受けできません。」と。
最終面接まで通していただいて一体何を言っているんでしょうか。
すごい失礼な話です(爆笑)
それなのに、その会社の面接担当の上席の方は私の考えを尊重してくれました。
「夢があるのは素晴らしいことです。夢を叶えてほしいとも思います。
小野木さんが納得するまで、内定を持ったままアナウンサー試験を受け続けていいですよ。
それでダメだったらうちに入社してくださいね。」と。
とても失礼で身勝手な申し出にも関わらず、お怒りになることもなく、私の夢の応援までしてくれました。
当時は売り手市場で、私が内定をいただいた会社も新卒で約400名の採用予定があるほどだったので、何人か内定辞退されてしまうことも織り込み済みの採用計画だったというのもあったのかもしれません。
また、内定を出した欲しい人材ではあるが、他に未練を持ったまま入社されてもと思い、未練を振り切って欲しくて挑戦していい、とおっしゃったのかもしれません。
いずれにしろ、こんなありがたい話はありません。
もう、内定先にまでこんな宣言をしたんだから、後には引けない!!!と心に火がつきました。
大学4年の8月のことでした。
一般企業の就活のため、大学4年の4月〜8月中旬まで休んでいたアナウンサー就活を、9月に復活しました。
9月に私の地元・愛知県の名古屋の放送局の採用試験が再び始まったからです。
実は4年生の大学生であれば、キー局、準キー局規模であれば採用試験を2回受けるチャンスがあります。
2回目のタイミングだと、採用年は翌々年になったりするので、それまで敢えて単位を落として留年したり、インターンをしたり、海外留学する人もいますし、翌年の合格者と一緒に翌年に入社するケースもあります。
加えて、準キー局以外の地方局でも、女性ならではの出産や結婚、地元が恋しいなどの理由で年度の途中で辞めていくケースもあるため、受験範囲を全国に広げたりテレビに拘らずラジオも入れれば、採用募集は常にどこかしらで行われています。
9月に行われた名古屋の放送局は私の大本命でした。
しかしここでも落選。後からわかったことですが、この年は男性のスポーツ志望アナウンサーを求めていたこともあり、エントリーシートの時点で落とされても仕方のないこと(落ち込む必要のないこと)でした。
そして、また雲を掴むような思いで地方局へエントリーシート(ES)を出しまくる日々を続けました。
スケジュール帳はESの締め切り日と面接の予定でビッシリ。
もうこの頃には、「受かるのは1社。落ちる会社の方が多いんだからその度に落ち込んでたら損!」というメンタルを持てるようになり、落ちても縁がなかったんだな、くらいに思ってどんどん挑戦しました。
アナウンサー受験をリスタートさせて、私が衝撃を受けたことは、去年一緒に試験を受けていた仲間の姿があったことでした。
試験会場に入ると、見覚えのある顔ぶれがチラホラ。
みんなまだ諦めずにずっと頑張ってるんだ…
その姿がとても刺激になり、私も諦めなくていいんだ!ととても励まされました。
さらに、アナウンサー試験に必ずある「カメラテスト」を受けた時、
あぁ、やっぱり人前に立ってお話しすることが好きだ…
と強烈に自分のやりたいことを実感させられてしまったのです。
緊張するし、上手に話せてもいないけれど、アナウンサーの仕事の一端を体験できるこのカメラテストが楽しくて嬉しくて仕方がなかったのです。
こんな気持ちは1年前には感じられませんでした。
以前は、うまくリポートしたい、カッコよく振る舞いたい、ちょっとでも細く見せたい…と自分の見え方にばかり関心が高く、落とされたらどうしようという不安がつきまとっていました。
そして何より、カメラの向こう側にいる人に話しかける、という意識までは到底到達していませんでした。
カメラの前で誰かに向かって表現できる喜び、それを実感し始めてから、八方塞がりだったアナウンサー試験も1次面接から2次面接へと先へ進めるようになっていったのです。
大学3年の11月、もうこれが最後のチャンスかもしれない!と思うアナウンサー試験がありました。
テレビ岩手(日テレ系列)の最終面接です。
最終面接まで残っているのは4名ほどだったと記憶しています。
試験の前日、凍えるような寒さの岩手県へ一人渡り、スーツケースをガラガラ引きながら、一人で小岩井農場を観光し馬の乳を搾り、街の空気や人の会話に耳をそば立てながら当日を迎えました。
明日の最終面接で話す志望動機やフリートークネタを作るためにです。
時期的にもギリギリでしたし、この先も来年4月入社のアナウンサー採用が出る保証はありませんでしたし、何より自分が最終面接まで残っている!ということが私の期待を大きくしました。
しかし、
しかしながら、
内定の電話はなりませんでした…。。。
流石に落ち込みました。
もう本当にこれが最後のチャンス!と思っていたのに…
あと一歩だったのに…
布団にくるまって泣きじゃくり、テレビ岩手から内定の電話が来る夢を何度も見ました。
失意の日々を過ごしている中、まだあったのか?!という採用情報が飛び込んでくるのです。
それが、私が大学4年の3月1日に内定を頂いたフジテレビ系列の地方局、石川テレビ放送です。
続く…
ここまでアナウンサー試験の実態、実情をご紹介しながら私のアナウンサー就活について明らかにして参りましたがいかがでしたか?
アナウンサーの就活や服装、試験内容、雇用体系について今までここまで詳しくお伝えしたことはありませんでした。
もし、ここまで読んでくださったあなたが、「それは知らなかった!面白い!びっくり!」という内容がありましたら是非教えてくださいね♪
幼い頃からの夢だったアナウンサーに内定するのは、もう少しあと、次のブログのお話です。
続きが知りたい!夢を叶える秘訣の3つ目が知りたい!と思われた方は是非、この記事の下にある「いいね」ボタンを押して行ってくださいね。
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